火星人 VS 京都旅行その 1

京都で撮ってきた写真の一部をまとめてみました。まずは第一日目。
ちなみに村上健司の「京都妖怪紀行」を参考に回っています。

京都妖怪紀行―地図でめぐる不思議・伝説地案内 (角川oneテーマ21)

京都妖怪紀行―地図でめぐる不思議・伝説地案内 (角川oneテーマ21)

初日に回ったルートは以下の通り。


三条寺町の商店街の中にある矢田地蔵。炎の中にあるお地蔵さんで「地獄地蔵」とも呼ばれています。矢田寺の起源には後述する小野篁が関わっており、ここの送り鐘は六道珍皇寺の迎え鐘と対になっているのは有名。


永暦元年、宮中に顔は猿、胴は狸、足は虎、尾は蛇、そして鳴き声は鵺に似た化け物が現れたのは有名な故事です。この鵺は源頼政が鏑矢をもって退治し、その体は空船に入れて流され四国で狗神になり、桃太郎は満州に渡りジンギスカンになった……というのはまた別の話ですが、この神明神社には頼政が鵺退治に使った鏃が伝えられています。

上の写真でわかるように拝殿に入れなかったので、遠距離から狙撃。画質悪いですがイメージは伝わるかと。

そして二条城の北、二条児童公園には鵺大明神が奉られています。

これが公園内にある鵺池。頼政が前述の矢についた鵺の血を洗い流したという伝説がある池です。この写真を撮る直前、四歳くらいの幼女が池にハマってました。これも鵺の呪いかもしれません。ああ、鵺の鳴く夜が恐ろしいのは横溝小説だけじゃなかったのですね。


夫に捨てられた女性が恨みを晴らすべく貴船神社へ丑の刻参りを行うと、「鉄輪を頭に乗せて顔を朱に塗り、鉄輪の足に火をともすと鬼になれる」というお告げを受けます。女性は鬼となって恨みを晴らそうとするのですが安倍晴明に調伏され、この鍛冶屋町の鉄輪井で息絶えたという伝説があります。この井戸は縁切り井戸としても有名で、この井戸の水を飲ますと相手との縁が切れると言われています。もっとも今では枯れてしまっていますが。
観光ガイドには絶対に載っていないようなスポットですし、入り口が民家の間にさりげなくあるので見つけるのに苦労しました。なんせ徒歩二分のところに三年住んでて気づかなかったもんなぁ。

入り口これだもん。


毎夜遅く、女性が水飴を買いにくる。不審に思った店主が女性の後をつけてみると墓場でふっと姿を消す。その墓場から子供の泣き声がするので墓を暴いてみると、なんと墓の中で子供が生まれていた……というのは日本全国にある子育て幽霊の基本フォーマットですが、実際に現在でも飴を売っているのはここ、京都六道の辻掛川にある小夜の中山だけでしょう。小夜の中山の夜泣き石は妖怪のバイブル、鳥山石燕 「今昔百鬼拾遺」にも登場しているかなりメジャーな怪異ですね。小夜姫伝説については怪 Vol.18 に掲載された川谷真氏の論文「道祖神と近親相姦」に詳しいです。

怪 vol.0018 (カドカワムック 212)

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京都の東、鳥辺野は古来より野辺送りの地でした。その野辺送りの地に今もあるのが六道珍皇寺平安時代前期に小野篁という役人がいたのですが、篁は役人であると同時に閻魔大王の臣であり、夜な夜な冥府に通っていたという伝説があります。その篁が冥府に通う際に使っていたのが、死の六道にある井戸と言われています。これは江戸時代の随筆「閑田耕筆」に書かれていますね。


メイド喫茶通いをするオタク共に一言言っておこう。貴様等のやっていることは既に千年前、小野篁が通った道だと!


積善院準提堂にある崇徳院地蔵。またの名を人喰い地蔵。
保元の乱隠岐に流された崇徳天皇は日本史上稀に見る怨霊です。球技に関するご利益があるという白峯神社も、その名前から解るように祭神は崇徳天皇です。

これは白峯神社境内にある石碑。崇徳天皇と言えば上田秋成雨月物語「白峯」が有名ですね。

改訂 雨月物語 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

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京都にいた二匹の風流狐。そのうちの一匹が聖護院のお辰狐です。芸事、特に琴に長けていたことから、音楽芸能関係にご利益があるそうですよ。


日本最大の三門で知られる東山の浄土宗総本山。ここには知恩院七不思議と呼ばれるものが現在でも残っています。残念ながら抜け雀や三方正面真向の猫は修復のため非公開。

左甚五郎の忘れ傘。寛永年間、大伽藍の工事で住処を追われた白狐が、ある雨の日に上人から借りた傘を本堂のひさしの下に差して返したという伝説があるようです。実際のところは本堂を守る魔除けであり、建物の一部に不完全な部分を敢えて残すという呪いです。日光東照宮の陽明門逆柱と同じロジックのようですね。

七不思議のひとつ、瓜生石。

勢至堂墓地の奥にある濡神大明神。もともとは寺社を守護する神様のようですが、今では縁結びの神様となっているそうです。


日本史上最大の妖怪といえば、金毛白面九尾の狐。インドの耶竭陀国を滅ぼした後、商の紂王、周の幽王に取り憑き、遣唐使吉備真備とともに日本へやってきた大妖怪です。玉藻前は「今昔画図続百鬼」に載っているほどのメジャー妖怪なので、知らない人はいないでしょう。
鳥羽上皇に取り入った玉藻前は最終的に那須で討ち取られ、その体は殺生石になったわけですが、真正極楽寺真如堂には殺生石の破片から削り出したという鎌倉地蔵が伝わっています。ちなみに殺生石そのものは「今昔百鬼拾遺」に載っています。殺生石を砕いて悪霊を成仏させたのが玄翁禅師という人なのですが、ここから金槌のことを「げんのう」と言うようになったとか。
真っ暗なお堂の格子戸にレンズ突っ込んでの撮影。大変でした。

真如堂にある枯山水の石庭。涅槃図を表しているとのことです。毎年三月には本堂にて 6 メートルもの大涅槃図が公開されるとか。
真如堂安倍晴明縁の寺でもあり、安倍晴明蘇生の図と晴明が閻魔大王から下賜されたという金印が伝わっています。蘇生図は毎年 7 月に一般公開、金印は……いつだったか忘れてしまいましたが、参拝者一人一人に押し当てていくという行事があるとか。またこの印を押した札は、持っているだけで閻魔大王の裁きをスルーパスできるというすごいアイテムです。


下御霊神社早良親王を奉った神社です。早良親王というのは桓武天皇の弟にあたる人物で、藤原種継暗殺の黒幕と目され淡路へ配流される途中に餓死したと伝えられています。
そもそも都は平城京から平安京へ直接移転したわけではなく、784 年に長岡京へ遷都しています。南都寺院と繋がりの深かった早良親王にとって、南都寺院からの影響力排除を目的とした長岡京遷都は都合が悪く、そのため長岡京のプロデューサーであった藤原種継は暗殺されたというのが有力な説のようです。決定的な証拠があったわけではありませんが、上記のように早良親王は餓死してしまいます。その後桓武天皇の親近に不幸が続き、桓武天皇早良親王の怨霊から逃れるため長岡京を 10 年で廃棄。平安京遷都を実行します。京都は様々な霊的結界を意図して都市が設計されているのですが、平安京遷都の目的が早良親王から桓武天皇を防衛するためであったことを考えれば、これも当然ですね。


幽霊絵馬で有名な西国三十三個所の 19 番札所。幽霊絵馬は通常非公開だそうですが、八月の絵馬供養の際に一般公開されるそうです。


京都御所。広い orz

御所の北東にある猿ヶ辻。建物の鬼門にあたる一角を敢えて切り取り、悪鬼から防衛する手段のひとつですね。

丑寅の反対は未申であり、陰陽五行において寅は火、申は水。二重の意味で鬼門封じとなっているわけです。


京都にいた二匹の風流狐。一つは前述のお辰狐ですが、もう一つが宗旦狐です。こちらは茶道に秀でていて、千宗旦によく化けていたことから宗旦狐と呼ばれたそうです。写真は相国寺境内にある宗旦稲荷。


京都の観光スポットでもダントツに若いお姉ちゃん率が高いのが晴明神社。やはり日本最大の陰陽師夢枕獏だな。
安倍晴明の母親が実は狐であるという説がありますね。それが大阪和泉市の葛の葉町に奉られている信太森葛葉稲荷であり、晴明出生の地のひとつにが大阪阿倍野区があるわけですよ。というわけでトーンさんには是非アルミちゃんを作って婦女子にモテモテになって頂きたい。


五位鷺命名の地、神泉苑五位鷺の体は夜間、青白く発光することがあるのですが、これは青鷺火として「今昔画図続百鬼」に、五位の光として「絵本百物語」に出ているほどのメジャー怪異。帝から五位の位を授かったのは伊達じゃないということでしょう。ちなみに京都御池通りの名はこの池からきています。